福島甲状腺がん過剰診断問題が明らかにした日本の医療の危機 ー「見て見ぬふり症候群」が医療崩壊を招くー
りんくう総合医療センター 髙野 徹
2024年10月に私を含む国内外の専門家が共同で執筆した「Overdiagnosis of Thyroid Cancer in Fukushima」(あけび書房)が発行された。この本では福島で発生している甲状腺がんの過剰診断に関わった人たちの詳細な動向が記載されている。これを読んだ海外の専門家たちは一般的には国際的に高く評価されている日本の医療体制が実は重大な問題を内包していることに気づくであろう。
2011年の福島第一原発事故が起こった際には、チョルノービリ原発事故の経験から対策が施された結果住民の被曝を低減することに成功し、心配されていた甲状腺がんの発生リスクの上昇を抑えることができた。しかし、同じくチョルノービリにならって甲状腺超音波スクリーニングを、しかもさらに大規模に実施したことで、本来一生気づかなかったはずの小さながんを掘り起こしてしまう過剰診断を発生させ、結果的に福島という狭い地域に数百人もの甲状腺がんで手術を受けた子どもたちを生み出してしまった。被曝対策は本来そのような子どもたちを出さないためであったはずであったことを考えれば皮肉な結果である。
福島の甲状腺検査が過剰診断の健康被害を引き起こしていることは検査開始3年後の2014年には判明しており、国連UNSCEAR, WHO(IARC), SHAMISEN等の国際専門家機関から報告が出されている現在では国際的なコンセンサスであると言ってよい。これまで検査を見直す機会は2回あった。1回目は2014年の福島の有識者会議で津金昌一郎氏と渋谷健司氏が過剰診断の可能性を指摘した時、2回目は2018年に私と祖父江友孝氏が福島県に対して検査の変更案を提出した時である。いずれも福島県は検査体制の問題点についての討議を避け、結果として検査のやり方の見直しはなされなかった。現在、過剰診断の被害を受けた可能性のある子どもや若者の数は検診外で見つかった例も含め400人程度になっていると推定されているが、2014年の時点で見直せば100人、2018年の時点で見直せば200人程度で留まったであろうことを考えれば残念としかいいようがない。なによりも福島では現在でも被害は拡大を続けているのである。
検査体制の最大の問題点は子どもに健康被害を生じうる検査が学校の授業時間内で実施されていることである。子どもたちに検査受診を実質的に強制することになり、高い受診率が維持されて被害者数の増加につながったのである。さらに巨額の予算が配分されて膨大な研究データが取れることが関係者にとって検査継続の強いインセンティブになってしまっている。逆に言うと、学校での検査が中止となればそのようなインセンティブがなくなるため検査継続を主張する声は弱まり、問題は一気に解決の方向に向かうであろう。学校での検査については前述のとおり私と祖父江氏が問題を指摘して中止の提言を県に出しており、また参議院議員の音喜多駿氏も国会で中止を求めている。それにも関わらず福島県は検査体制を見直していない。問題が発覚してから放置されてきた10年という時間はあまりに重い。
私は原発事故の前に「甲状腺がんは子どもの頃からすでに発生している」とする論文を書いていた。しかし、当時国内のほとんどの専門家たちは私の見解を否定していた。したがって福島の甲状腺検査によって、子どもに小さな甲状腺がんが多数発見されたことは想定外であったはずである。もちろん医学の領域でも予想が外れることは当然あり、誰もそれを責めることはできない。当初私は検査を開始した人たちが良識を発揮して自らの見解を正し、検査の修正をリードしてくれるであろうと信じていた。しかし意外なことにそうはならなかった。2017年に私自身が福島の有識者会議に参加したのは福島の甲状腺検査を科学に沿ったあり方に修正するためであった。その場で科学的に正しい見解を提示して他の委員たちがそれを理解すれば問題は解決に向かうだろうと信じていたのである。しかしここでもそうはならなかった。行政は今でも過剰診断の被害の存在を公式に認めておらず、関係する専門家たちは「過剰診断は対策済み」「検査のメリット・デメリットは説明済み、検査対象者の同意を得ているから検査の継続は問題ない」と主張している。
医療でなんらかの見込み違いが起こった時にその医療を推進してきた人たちがそれを認めずにかえって自らの正当性を主張する、といった事態は他の国でも起きている。韓国で甲状腺超音波検査のやりすぎで過剰診断の被害が発生した時には、検査を主導してきた韓国甲状腺学会は被害を真っ向から否定した。しかし韓国では同時に良識派の専門家たちが声を上げ、検査の縮小を主導して被害の拡大を抑え込んだのである。だが今回、日本ではそのような動きはでなかった。この違いは何なのであろうか。
日本の医療界では「見て見ぬふり症候群」が蔓延しているのである。間違った医療行為が行われている時、まず声を上げないといけないのは同じ領域の専門家たちである。彼らが率先して科学的に正しい見解を述べて状況を改善する道筋を示さなければならない。しかし、日本では誰もが関りを避けようとするのである。たとえそれが困った状況に置かれている福島の子どもたちにとって大きな助けになるとわかっていても、である。
典型的なのは日本の甲状腺関連学会の動きである。これらの学会では過剰診断の議論はタブー視されている。日本の専門家たちの支援で始まったチョルノービリ原発事故後の甲状腺超音波スクリーニングでも過剰診断の健康被害が発生していたはずであるが、40年が経とうとしているのにその総括すらできていない。学会雑誌には「過剰診断などと言っている人たちは迷惑だ」などと議論そのものを牽制するような文章が躍り、「福島では過剰診断・過剰治療は起こっていない」などとする科学的に誤った情報を学会幹部がむしろ積極的に流布している学会すらある。私を含め、福島の現状を危惧する医師たちは色々な人たちに解決への協力を求めてきた。心温まる応援の言葉をいただくこともあるが、多くの場合そのような協力要請は無視された。なかには「過剰診断」という言葉を聞いただけで連絡がつかなくなった人さえいる。結果として無軌道な医療行為が行われていても批判の声は表には出ず、修正されることもない。このような状況は過ちの発端となった人たちが医療現場から退くまで延々と続くのであろう。
実はこのようなことは日本の医療界において何度も繰り返されてきたのである。話は120年前の明治時代にまで遡る。小説家としても有名な森林太郎(鴎外)は1904年の日露戦争当時陸軍の軍医の高官であった。当時の軍隊では脚気が大きな問題であった。海軍では食事をビタミンを含有していない米飯から麦食に変更することで脚気の撲滅に成功していたが、森はその情報を知っていても脚気が感染症であるとの自説を曲げず、兵士に米飯を支給することを指示した結果2万7千人の兵士が脚気で死亡するという惨状となった。森は一生涯自分の過ちを認めなかったという。日本で脚気のビタミン不足説が定着するのは森の死後の1925年である。
ついでは1990年代の神経芽細胞腫の新生児マススクリーニングである。この検査は当時の学会の権威たちが政府の後援で開始したものであった。ところが、開始して早々に検査が予後を改善せずむしろ過剰診断の被害をもたらすことが判明した。しかし、検査を推進してきた専門家たちは過ちを認めることができず、また周囲も「見て見ぬふり症候群」を発症して国内から批判が出ることはなかった。結局全国規模のスクリーニングは海外の批判受けて中止となったものの、一部の地域では検査は30年も継続された。
子宮頸がんワクチンの問題が起こったときもそうであった。この時もワクチン接種の勧奨の中止という政府の判断に対して、関係する専門家などが積極的に議論して情報を発信し、再開の検討をすべきであったのであろう。しかし、多くの人たちが「火中の栗」を拾おうとせず腰が引けた結果、何年も放置してしまったことが国際的な批判を受けたのは記憶に新しいところである。そして今回の福島の問題である。日本の医療界は何度同じ過ちを繰り返すのか。
福島の甲状腺がん過剰診断問題は日本の医療界の宿痾である「見て見ぬふり症候群」の典型例である。現状を放置すれば今後も同様の事例が頻発し、医療の崩壊すら招きかねないのではないか。日本で医療をリードしている人たちは誤った判断をしてもそれを自ら改めることができない。そしてその結果おかしな医療行為が行われていても医療者たちは誰も困っている人たちに手を差し伸べて助けようとしない。人々はそんな医療者たちに自分や自分の家族を任せようと思うであろうか。医療者は一般国民の信頼を失い、医師が「お医者様」などと呼ばれていた古き良き時代は二度と再び訪れないであろう。
さらに福島の甲状腺検査の場合はヘルシンキ宣言の問題もある。福島やチョルノービリ周辺国では日本の研究者たちが子どもや若者の甲状腺超音波スクリーニングを支援し、得られたデータを用いて研究論文を発表している。甲状腺超音波スクリーニングに明らかなメリットはなく、逆に対象者に過剰診断の健康被害をもたらす。このような研究は「対象者に害をもたらす研究は実施すべきでない」とした医学研究の倫理規定を定めたヘルシンキ宣言に抵触している可能性がある。ヘルシンキ宣言は元々ナチスドイツが実施した人体実験の反省から生まれたものである。日本ではそのような国際的な倫理規範を軽視した研究が実施され、しかもお墨付きを与えているのは大学の倫理委員会なのである。このような状態を放置すれば、日本の医学研究者は成果を得るためなら子どもの人権を損なうことも厭わないのだと海外の人たちに思われ、今後の研究推進に大きな足かせとなるであろう。
一人の専門家の責任として福島県民にお伝えしたい。「過剰診断」の4文字の意味を知らないままに子どもたちに甲状腺検査を受けさせてはならない。この検査は決して低くない確率で子どもに生涯にわたるからだと心の傷を負わせる。また福島県が「過剰診断」という言葉を決して県民に伝えようとしない一方、「検査の害の説明は十分にしている。対象者の同意を得てやっている」としきりにアナウンスしていることも知るべきである。すなわち、書面で同意している以上、検査で過剰診断の健康被害を受けたとしても「あなたが検査を希望したのだから仕方ないでしょう」で済まされてしまう可能性が高いのである。
福島の甲状腺検査の危険性を認識しながら沈黙を続けている方々にお伺いしたい。このまま見て見ぬふりを続けるつもりなのか。福島は原発事故が起こった地として歴史に記録されるであろうが、それに加えて「間違った医療が行われた地」として医学の歴史に残すつもりなのか。日本が困った状況に置かれている子どもたちを救うことができない国であってもよいのか。
あと5年で最も低年齢の対象者が高校を卒業するため福島甲状腺検査の学校での検査は完了する。科学や医学倫理を逸脱した形で実施されている学校での検査を当初の計画通り完遂させてしまっては日本の医療界の敗北である。我々が過ちを正すのにあまり時間は残されていないのである。